ナースィルッディーン・マフムード1世(Nasir ad-Din Mahmud I、1086年9月9日? - 1094年11月)は、セルジューク朝の君主(スルターン)である(在位:1092年 - 1094年)。マフムード1世は父親のマリク・シャーのスルターンの地位を継承したが、セルジューク国家全体の支配権を得ることはできなかった。
生涯
マリク・シャーの生前、宰相のニザームルムルクはマリク・シャーの長子であるバルキヤールクを後継者とするよう主張していたが、1092年にマリク・シャーが没した後、テルケン・ハトゥンはアッバース朝のカリフ・ムクタディーに実子であるマフムード1世のスルターン位継承を承認するよう説得した。他方バルキヤールクもスルターンを称し、セルジューク朝には2人のスルターンが並立する。1094年11月、マフムード1世は天然痘に罹って没した。
マリク・シャーの死後、大セルジューク朝から分離独立した政権が現れ、アナトリアではイスファハーンから脱出したクルチ・アルスラーン1世が、シリアではマフムードの叔父トゥトゥシュが独立し、アレッポとディヤルバクルの支配者も独立を宣言した。セルジューク帝国内の分裂は、1096年に実施された第1回十字軍の予想外の成功をもたらした。
脚注
参考文献
- 井谷鋼造「トルコ民族の活動と西アジアのモンゴル支配時代」『西アジア史 2 イラン・トルコ』収録(永田雄三編、新版世界各国史、山川出版社、2002年8月)

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