山田 博士(やまだ ひろし、本名:山田 洋(読み同じ)、1973年6月17日 - )は、岐阜県大垣市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
実兄はヤクルトスワローズなどでプレーした山田勉。
来歴・人物
大垣工業高時代は2年時からエースの座に就く。3年の夏には大会屈指の好投手として注目を集めた。初戦は完封勝利を収めたものの第二戦で市岐阜商に味方のエラーから失点して自責点0で高校野球を終えた。高校卒業後は、社会人野球の日本通運名古屋に入ると都市対抗野球へチームを18年ぶりの出場に貢献。
1994年、中日ドラゴンズを逆指名し、同年のドラフト2位で入団。1997年8月19日の対広島東洋カープ戦で初登板、同年8月22日の対阪神タイガース戦で初勝利をあげる。
1998年、巨額の脱税事件に関わっていた事が発覚し、有罪判決を受けた(詳しくはプロ野球脱税事件を参照)ため、シーズン序盤5週間の出場停止処分を受けた。7月16日の対広島戦で実兄の山田勉と同じ試合で投げ合った。またその試合の6回表には投手・勉、打者・洋という兄弟直接対決も実現した。オフには古傷の右肘を手術。1999年の開幕には間に合わず、前半はリハビリテーション生活となっていた。2000年は一軍登板なしに終わる。
2001年シーズン途中、種田仁と共に波留敏夫とのトレードで横浜ベイスターズに移籍。移籍後は出番が増えていた。2005年のシーズン終了を前に戦力外通告を受け、現役引退。他球団での現役続行希望も獲得球団はなかった。
2006年、古巣中日へ打撃投手として復帰。同年5月よりマネージャーに配置転換された。現在は、監督付広報を務めている。
詳細情報
年度別投手成績
記録
- 初登板:1997年8月19日 対広島東洋カープ21回戦(広島市民球場)、8回裏から4番手で救援登板・完了、1失点
- 初勝利:1997年8月22日 対阪神タイガース21回戦(ナゴヤドーム)、8回表から4番手で救援登板・完了、無失点
- 初先発:1997年8月30日 対ヤクルトスワローズ23回戦(ナゴヤドーム)、5回3失点で敗戦投手
- 初完投・初完封:1997年9月30日 対阪神タイガース26回戦(ナゴヤドーム)
背番号
- 16 (1995年 - 2001年途中)
- 34 (2001年途中 - 2005年)
- 123 (2006年)
登録名
- 山田 洋 (1995年、1997年 - 2000年)
- ヒロ山田 (1996年)
- 山田 博士 (2001年 - 2005年)
脚注
関連項目
- 岐阜県出身の人物一覧
- 中日ドラゴンズの選手一覧
- 横浜DeNAベイスターズの選手一覧
- 兄弟スポーツ選手一覧
外部リンク
- 個人年度別成績 山田博士 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)



