グスタボ・カリーム・ガルシア・アグアヨ(Gustavo Karim Garcia Aguayo, 1975年10月29日 - )は、メキシコ出身の元プロ野球選手(外野手)。
経歴
メジャー時代
1992年にロサンゼルス・ドジャースと契約し、1995年9月2日にメジャーデビュー。
1998年には新球団アリゾナ・ダイヤモンドバックスでプレーし、開幕戦でチーム第1号の本塁打を放つ。1999年から在籍したデトロイト・タイガースでは、2000年に移籍してきた野茂英雄とチームメイトだった。
2003年はニューヨーク・ヤンキースで松井秀喜とともにプレーした。同年のボストン・レッドソックスとのアメリカンリーグ優勝決定シリーズで、敵地の球団職員と乱闘事件を起こした。また、ペドロ・マルティネスに危険球を投げられて激昂した。
2004年、ニューヨーク・メッツに移籍し松井稼頭央とはチームメートだったが、同年7月にボルチモア・オリオールズにトレードされた。
メジャーでは通算488試合に出場し打率.241、66本塁打、212打点の成績を残した。
オリックス時代
2005年にオリックス・バファローズに入団。合併球団の外国人選手第1号だった。同時入団のクリフ・ブランボーと共に主軸を期待されたが、5月まで1本塁打にとどまり二軍落ちも経験した。しかし、再昇格後は4番に定着しチーム最多の21本塁打を放った。8月10日、翌11日(対楽天戦)で1試合3本塁打を記録し、2試合連続1試合3本塁打の世界記録を達成。これが決め手となり8月の月間MVPを受賞した。シーズンオフの契約更改では交渉は難航したものの、最終的には年俸ダウンで合意し残留となった。
2006年は開幕前にWBCメキシコ代表に選ばれ、途中で故障するまで一番打者として3試合に出場し、打率.429の好成績を残した。しかしシーズンに入ると極度の不振に陥り、最終的に2年連続でチーム最多となる13本塁打を放ったものの、打撃全部門で前年より数字を落とした。7月2日の試合前練習ではベンチで長電話をしていたため、監督の中村から懲罰として欠場を言い渡されるトラブルも起こした。成績不振に加えて素行の悪さも問題視され、シーズン終了後に戦力外通告を受けて退団した。
オリックス退団後
2007年、フィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結んだがメジャー復帰は果たせず、退団後はメキシカンリーグのモンテレイ・サルタンズでプレーした。
2008年1月14日、韓国野球委員会(KBO)のロッテ・ジャイアンツに入団。2008年北京五輪野球最終予選のメキシコ代表にも選ばれた。7月10日のウリ・ヒーローズ戦では、ライトへの安打性の当たりを即座に一塁に送球し「ライトゴロ」を達成するなど、走攻守すべてでシーズン通して活躍。また、KBOの外国人選手として初めてオールスターファン投票1位を獲得する快挙も成し遂げた。最終的に111打点を挙げて打点王のタイトルを獲得し、チームの3位躍進に大きく貢献した。
2009年はWBCメキシコ代表に2大会連続で選ばれたが、ほとんど出番はなくチームは2次ラウンドで敗退した。この年はリーグワーストの三振を喫し、打撃全部門で前年を下回る成績しか残せなかった。それにもかかわらず最終的には2010年もロッテと契約し、同球団で3年連続プレーする初の外国人野手となった。
2010年、9月8日の対サムスン・ライオンズ戦で審判の判定に抗議したため退場処分となり、さらにこの処分に対してツイッターで不満を述べたため、後日公式戦7試合の出場停止処分を受けた。同年はロッテ入団後ワーストの成績に終わり、投手不足のチーム事情も重なってシーズン終了後に解雇された。
2011年は、再びメキシカンリーグのモンテレイ・サルタンズでプレーしていたが、不振により退団したフリオ・デポーラの代役として、6月4日にハンファ・イーグルスと契約し韓国球界に復帰した。シーズン途中加入にもかかわらず18本塁打を記録し、サヨナラ本塁打を2本打つなど勝負強さが光ったが、打率が低迷したため同年限りで退団となった。
メキシカンリーグ時代
2012年は、再びメキシカンリーグのモンテレイ・サルタンズでプレー。
2013年もサルタンズと契約するが、5月22日にトレードでキンタナロー・タイガースに移籍。
2014年もキンタナロー・タイガースでプレー。
2015年も当初はタイガースでプレーしていたが、6月2日にトレードでタバスコ・オルメカスに移籍。オフの12月14日にトレードでサルティーヨ・サラペメーカーズに移籍。
2016年7月13日に解雇となり、翌14日にメキシコシティ・レッドデビルズと契約。同年限りで現役を引退した。
現役引退後
2022年より、メキシカンリーグのグアダラハラ・マリアッチスの打撃コーチに就任した。
2022年からは、メキシカンリーグのレオン・ブラボーズの監督に就任。
選手としての特徴
世界記録の2試合連続1試合3本塁打を記録した強肩強打の外野手。もともとは200m走の選手だったため走塁も積極的で優れている。
詳細情報
年度別打撃成績
- 2018年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
表彰
- NPB
- 月間MVP:1回 (2005年8月)
- KBO
- ゴールデングラブ賞:1回 (2008年)
背番号
- 12 (1995年 - 1997年)
- 24 (1998年 - 2000年途中)
- 57 (2000年途中 - 同年終了、2002年 - 同年途中)
- 50 (2001年)
- 20 (2002年途中 - 2003年途中、2004年 - 同年途中)
- 28 (2003年途中 - 同年終了、2005年 - 2006年)
- 47 (2004年途中 - 同年終了)
- 95 (2008年 - 2011年)
代表歴
- 2006 ワールド・ベースボール・クラシック・メキシコ代表
- 2007年パンアメリカン競技大会野球メキシコ代表
- 2009 ワールド・ベースボール・クラシック・メキシコ代表
- 2013 ワールド・ベースボール・クラシック・メキシコ代表
脚注
関連項目
- メジャーリーグベースボールの選手一覧
- メキシコ出身のメジャーリーグ選手一覧
- 中南米出身の日本プロ野球外国人選手一覧#メキシコ
- オリックス・バファローズの選手一覧
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
- 個人年度別成績 カリーム・ガルシア - NPB.jp 日本野球機構



