張 志潭(ちょう したん)は中華民国の政治家。北京政府の要人。字は遠伯

事績

清の挙人で、内務部で職に就く。徐世昌が東三省総督となるとその秘書となった。1912年(民国元年)、北京総統府秘書に任命される。1914年(民国3年)7月から1916年(民国5年)7月まで、綏遠道尹をつとめた。1917年(民国6年)1月、内務部次長に昇進し、さらに外交委員会副会長となる。7月、国務院秘書長となり、さらに参戦事務処機要処長を兼ねた。1919年(民国8年)、陸軍部次長となる。

1920年(民国9年)8月、靳雲鵬で田文烈の後任として署理内務総長となる。その翌年5月には交通総長に任命され、顔恵慶臨時内閣・梁士詒内閣でもその任にあった。1921年(民国10年)12月、交通総長を辞任する。1923年(民国12年)、内国公債局総理に転じた。その翌年には財政整理委員会副会長を兼任している。1926年(民国15年)5月、顔慶恵内閣で交通総長に再任され、杜錫珪代理内閣・顧維鈞代理内閣でも在職した。翌年1月の辞任後に政界から引退した。

国民政府では、1933年(民国22年)に華北戦区救済委員会委員をつとめたことがある。晩年は、花卉の絵画に打ち込み、優れた作品を残している。

1946年(民国35年)、病没。享年64。

参考文献

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。 

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